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かっぱ巻き


会ったことのない親戚の通夜に出て、苦笑いで相槌を打っていたら、帰り際に寿司折を持たされた。家に帰って寿司折を開けてみると中身は助六寿司だった。助六寿司に魚は一切れもない。俺の親族は、身内が亡くなった日に生き物の肉を食べてはいけないというエセ科学を強く信仰しているからかもしれない。雪の中持って帰った助六寿司は大理石のように冷えていた。巻きずしの断面は硬く締まっていた。俺は映画の八甲田山で笹で巻いたおにぎりが凍ってしまったシーンを思い出した。

 

助六寿司の中にかっぱ巻きがあった。きゅうりは芯まで冷えていた。俺はわざわざ炊いた酢飯できゅうりを巻いたやつのことを考えた。どうなったらきゅうりで寿司を握ろうという気になるだろうか。

もしかっぱ巻きが存在していない世界線で、少ない給与を切り詰めてたまの贅沢と寿司屋に赴き、きゅうりを巻いた寿司が出てきたら、ふざけるな、貧乏人をなめるのもいいかげんにしろ、とにかく魚を出せと、やおら寿司下駄を振り回してショウケースを割ってしまうかもしれない。俺たちは寿司屋できゅうりなんか見たくもない。どうやったら市場のニーズを無視してきゅうり寿司を顧客に提供できるのだろうか。魚ばかり食べすぎた富裕層の小粋なジョークだったのだろうか。魚ばかり食べすぎたシェフの気まぐれ寿司だったのだろうか。原価という概念が寿司業界にはないのだろうか。それとも冷蔵庫にあったきゅうりを何の気無しに巻き簾に合わせてみて意外にもジャストサイズだったら、そのまま巻く気になるだろうか。いずれにせよ、のりと酢飯ときゅうりと醤油でおいしい寿司ができると思っているとするならば、常軌を逸していると言わざるを得ない。きゅうりに味なんてねえんだから。

 

回転寿司だってバンバーグやからあげを積んだりするが、それはあくまで悪ふざけの範疇で、「いやこれ回転寿司だし」とでもいうような自嘲の念が感じられる。ハンバーグやからあげはあくまでカウンターカルチャーであり、それはメインの魚介類がいまだに一線を退かずにでかい顔をしているため、アングルが成り立っている部分が大きい。反骨、反権力、アンチヒーロー、回転寿司とはそういうものだ。

それがどうだ。かっぱ巻きは、”きゅうり巻き”などとも呼ばれず、オリジナルなステージネームを授かり、すし詰め合わせなどではちゃっかり大御所の隣に紛れ込み、それでいてあくまで自分は引き立て役だとでも言わんばかりに矢面に立たず隅に身を寄せている。与党にいたいが責任だけはかぶりたくない。カメラには写りたいがメインで抜かれたくはない。文化祭でバンドはしたいが陽キャに目をつけられたくはない。かっぱ巻きは、そういった小狡さ、陰湿さ、抜け目のなさを、まったく追求されずに今の座を保ち続けている。

 

あるいは、かっぱ巻きが寿司桶に必ず収まっていたり、パック寿司にしれっと紛れ込んでいるおかげで、我々は意図せずかっぱ巻きを寿司だと受け入れてしまっているのだとしたら。子供の頃の食文化はなかなか変わらない。外食産業がそうであるように、かっぱ巻きは子供の舌に投資をし、20年のスパンで回収しているのかもしれない。考えてみれば不思議な話だ。せっかく寿司を買うんだから、きゅうりの分までうにの軍艦を詰めろと思う。鉄火やねぎとろや、最悪かんぴょうだってある。きゅうりなんかより他に巻くものがあるだろう。しかしかっぱ巻きの存在が当たり前になってしまっているからこそ、我々はかっぱ巻きに対して何の違和感も抱いていない。

これがもし、かっぱ巻きの方からデリバリー寿司やスーパーマーケットに金品を渡し、かっぱ巻きをレギュラーメンバーにねじ込んでいた場合、そのかっぱ巻きに違和感を覚えずに育った子供は、大人になり、労働をし、カウンターの寿司屋に行き、意味不明な値段のかっぱ巻きを何の疑問も持たずに食べるだろう。彼らにとってかっぱ巻きは当たり前なのだから。かっぱ巻きは芸能人に依頼し「安いのにおいしい!」などと言ったブログを書かせているかもしれないし、ツイッターで人気の漫画家に依頼し「かっぱ巻きを食べてきましたけど感動しました!」といったルポを同時に公開させていたりするかもしれない。目に見えないところでかっぱ巻きが暗躍しているに違いない。現段階の日本は既にかっぱマーケティングは仕掛け終わっており、あとはただかっぱ巻きを流通するだけでマーケットが自動的に消費してくれる段階まで来てしまった。こうなればかっぱ巻きの存在に異を唱えたところで、せん妄だとか、陰謀論を真に受けた非科学論者だとかと勝手に叩かれ、意見は封殺されてしまう。かっぱ巻きがただのきゅうり寿司であるということは、今後一切触れられないだろう。

 

しかし逆に考えると、周りを大トロやいくらに囲まれながら平然とした顔をしていられるのは、「ひ弱そうな主人公像」といったキャラクターと重なるところがあるかもしれない。「無能、故に最強」といったライトノベルの理想系のように、一見ただの青瓢箪だが実は能力を隠し持っているというのは、わくわくする話ではある。きゅうりに味なんてねえけど。

 

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