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プチスタンダード経過記録 A.P.C. PETIT STANDARD 14.5oz (29monthes 2wash 3soak)


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前回の経過記録は今年の4月で、それまではおよそ2年間毎日に近い頻度でこのプチスタンダードを着ていたが、以降は穿いたり穿かなかったりと一般的な衣服を着る頻度と同じくらいのペースで足を通していた。

週1ペースかそれ以下か、穿いていたかどうかもあやふやなレベルで、色落ちの記録としてはかなり意味がなくなってきてしまった。いや、以前から記録としては結構適当だったし、そもそもこんなことを続けてなにか意味などあるのか?多分ない。ないですね。残念なことに。

 

というか、こう、気合を入れて毎日がんばって穿くぞ!という姿勢、これがあんまりかっこよくはないですね。普通に考えて異常な執着を見せている人って不気味ですしね。

頑張ってるっていうのは人を巻き込んだプロジェクト性があればいいけど、理解を得られていなければ奇行とかその類だし、一人でやっているとなるといよいよ近寄りがたいものになってしまう。当人しか理解できない価値感を人は狂気と呼ぶ。服なんてみんなとだいたい一緒なものを来ておけばいいという空気の中で、当人にしか理解できない価値観にこだわりだすと、「どうしたの?」性はいや増していく。それ知っててどうすんのみたいな知識でマウントとりにくるやつとかウゼえもんな。

というか服とか興味ないしユニクロで適当に買ってきました、みたいなスカした態度で、小綺麗にまとまっていて、仕事に打ち込んで成果を上げていたり、趣味に邁進して仲間を増やしていたり、女の子とすぐ仲良くなっちゃうことができたり…そういうほうが”かっこいい”ということになってるみたいですね。どいつもこいつも知ったこっちゃねえけどよ。

 

今回は久々に洗濯したんで更新します。

 

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洗濯・乾燥後のアタリが平らな状態は不思議でちょっとおもしろい。

これ、跡ついてますけど平らなんスよwと言って回りたい。

 

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腿のあたりはインディゴ抜けきった感がある。

生地自体も手で触るとうっすら薄く、ダメージ入るのが近いだろうなという予感がある。

 

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ハニカムあたりはあんまり変わっていないような気がする。

アタリに沿った色落ちは一年ほど前にしちゃってるわけだし。

 

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再び海で洗濯した。

概ね前回と同様に着水→砂→すすぎだけ。洗濯とは?

洗ってる写真とかは今回は撮らなかったんだけど、カンブリア宮殿というテレビに3分ほどの記録が残っています。私は残業だったので見れてないですが。

 

生地のおかげなのか縫製が丁寧なのかはわからないけど数年単位で色落ちも型崩れもせず高頻度で着ることができる服は確実にある。00年代のほうがそういう丈夫な服が多かったようにも感じる。当時はまだ幼かった分そういう傷みを認識できていなかっただけなのかもしれないが。ヴィンテージ品とかじゃなくて、当時のユニクロとかでも服としての堅牢性は高かったように思う。何年も同じものを着ているので流行がどうだとか言って数ヶ月で新しい服を買うという行為が信じられなかった。今でも信じられない。その点ジーンズは、丈夫さを売りにしながら生地の厚みが増して単価が上がっても許されており、かと思えば切れやすいはずの綿糸をわざわざ使っていたりする。変な現象だと思う。

 

「ジーンズなんてもともと作業着だから」みたいな上手な言い訳を未だによく聞く。デニムの生地もメーカーによって違うし、目に見えるディティールも目に見えない糸の内部もブランドによって全然違うので、脆いジーンズもあれば過剰に丈夫なジーンズもある。「カイハラで生地が作られているならユニクロとリーバイスのジーンズは同じようなもの」と思っている人もいる。生地の仕様なんか値段とクオリティを見て各社でそれぞれ違うものを使っているだろうから、その段階ですでに別物だし、製造工程や各種パーツ、なんなら販売経路や服以外でイベントなんかへの取り組みも全く異なるので、同じTシャツにブランドロゴを印刷しましたみたいな仕組みとはぜんぜん違うわけである。大人が着ても大丈夫な服、クラブで着てても浮かない服、有名人が着ていた服…というような衣服の持つ社会的な機能は大いに関心を持たれているが、物理的な機能はそうでもないのかもしれない。

 

とある”ファッション通”な友人に、会話の流れで「意外と服好きなんですね」みたいなことを言われたことがあった。俺は「嫌いな服を着たくないだけだよ。例えば君が着てるようなものをね」みたいなことを返した。我ながら最悪な返答だけど、ここにヒントがある気もする。「服が好き」というよりは「好きな服」で選んでいるのだろう。他人目線を前提としたオシャレな感じを身にまといたくはない。こうして感性だけが研ぎ澄まされ、代わりに社会性を失っていき、将来的に休日の会社の集まりなんかに全身ミルスペックで馳せ参じることになってしまうのかもしれない。

 

全身ミリタリーは駄目なのか?そもそも駄目ってなんだ?いまから前線行ってきますみたいな格好だったら奇異の目の一つも向けられるだろう。しかし全身にまとまりがあってなんとなくシュッとしてて、「その服、ちょっとなんか、普通と違いますよね」の問いに「これ実は軍隊仕様なんですよ」とにこやかに答えるような感じなら全く問題ない気がする。同僚からの「ダサい」の評価にエアガンを突きつけたりするのは”駄目”だと思う。

 

ポプリンをあの形に裁断・縫製してボタンをつければワイシャツになるように、デニムを切って縫ってリベットを打ち込んでジーンズができる。概ねそれだけだけど、店の棚から取られた後で全く同じジーンズに遭遇することはほとんどない。しかしジーンズそれ自体は誰かしらが穿いている姿を毎日目にしている。変なジーンズもあれば変じゃないジーンズもあり、誰が見るかによって変かどうかも変わってくる。似たように見える隣の人のジーンズは全く別物だけど、隣の人は「同じジーンズだ」とか思っているかもしれない。この変な衣類が当たり前として生活に馴染んでしまっていることが不思議じゃないですか?は?そんなん別の服もだいたいそうだろ?何言ってるの?