無塩せきガソリン

SALT-FREE GASOLINE

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圧迫


ウィンドウを開けると風が吹き込む。コンビニコーヒーの蓋がシートの下まで吹き飛ぶ。大粒の雨が右腕に染みる。信号が赤いうちに、くすぶるタバコをもう一度ライターで炙る。灰を飲みかけのコーヒーに落とす。一瞬音がして静かになる。時計は14時半を指している。グーグルマップが信号で曲がれと繰り返す。信号が変わる。ハンドルを切る。国道に出てアクセルを踏み込むと、咥えっぱなしのタバコの灰がスーツに舞った。

 

ペーパーテストの合格通知には「個人面接:15時から受付開始」と書いてある。午前の集団討論には遅刻寸前で入室したので午後はかなり余裕をもたせた。面接は本社ではなく専用の会場で行いますのでお間違えのないようご注意ください。そうとも書いてあった。

 

午前の集団討論では駐車場が指定されていなかった。ペーパーテストのときと同じ駐車場に車を停め、4キロほど雨の中を歩いた。傘をさしながらグーグルマップに会場になっているビルの名前を打ち込む。時速4キロで歩くと1時間かかる道のりを、その時の俺は30分ほどで着くだろうと見積もっていた。なぜそんなふうに見積もったかは今でもわからない。当然、1キロほど歩いた時点でどう考えても間に合わないことに気づく。残りの距離は3キロ、時間は20分。傘を揺らし、革靴を濡らし、スーツに汗を垂らし、住宅街を走り抜けた。

集団討論のグループの中で、汗だくなのは俺だけだった。人事の採用担当は「遅刻したらどうしようと思いましたよ」と無表情に言う。「ハハ…すいません…駅の駐車場からだと思ったより遠くて走っちゃいました…」と俺は言う。「え?合格通知に駐車場の場所も書きましたよ」採用担当に言われるまま合格通知をめくる。片面印刷だとばかり思っていたA4用紙の裏に、地図と駐車場の案内が記載されていた。面接は本社ではなく専用の会場で行いますのでお間違えのないようご注意ください。そうとも書いてあった。

 

午前の集団討論を終え、4キロの道のりを歩いて引き返す。車を駐車場から出す。コメダで昼食を取る。コーヒーを一口ずつ飲む。灰皿がいっぱいになる。俺はコメダを出て再び面接会場へ向かう。

 

午後の個人面接の受付10分前に駐車場に着く。指定された時間より早すぎても印象はあまり良くないだろうと考え、車から出て、誰もいない駐車場で傘を広げ、タバコに火をつける。時計が5分進んだのを確認し、火をもみ消し、会場へ入る。

 

 受付には先程の人事の採用担当がいる。慌てた様子でこちらへかけてくる。「あ!きたきた!よかった!」俺は面食らって歩を止める。「次ですよ!順番!会議室の前の扉で待機して、どうぞと言われたらノックして入ってください。右手にカゴがあるので荷物を…」採用担当は俺の手を引きながらまくしたてる。「ちょっと待ってください、受付は15時からですよね?」と俺は言う。「あれ?集団討論のあと、一部の受験番号の方は30分予定を早めるってホワイトボードに書いておいたんですけどね…もしかしてこちらで伝え漏れていましたか?」と採用担当は聞く。俺はそのホワイトボードは見ていない。が、多分面接官が伝え漏らしたわけではないと思う。

 

扉を開けると、自分の2倍ほどの年齢の、男性が数名と女性が一人、重そうな机越しに座っていた。俺は背筋を伸ばし、クラブでドリンクを注文するくらいの声量で挨拶をする。「どうぞ」面接官はつまらなさそうに俺に座るよう促す。椅子には先程の受験者の体温が残っている。

 

「まず、あなたの志望動機をお聞きしたいんですが」面接官はあくびを噛み殺して言う。俺はエントリーシートに書いたことを思い出す。エントリーシートには直筆で記載してくださいと目立つ字で書かれていた。一旦鉛筆で下書きし、その上をボールペンでなぞった。それでなお何を書いたか全く思い出せなかった。直筆で書いた書類をそのまま封筒に入れて郵送すると、俺の部屋からはエントリーシートの原本がなくなった。思ってもいない志望動機は10円でコピーするのも忘れてしまっていた。

俺は適当に会社を持ち上げ、それに貢献したい、みたいなことを言った。100人のうち90人が言いそうなことを言った。

 

「なるほど…しかし、先ほどおっしゃられたように社会で活躍するのに、どうしてもウチじゃないといけない理由はなにかありますか?」と面接官は付け足した。別にないですよ、というか社会で活躍したいわけではありませんよ、と思ったが言わないでおいた。「御社の持つ技術は私が前職で関わっていた…」と続けた。喋りながら、なぜ俺はこんなオッサンに媚びへつらっているのだろうと不思議になった。

 

「なるほど…しかし、それは業種が同じなら別の企業さんでもできますよね?どうでしょうか」と、さらに付け加えられた。そうですよ、御社が業界ナンバーワンなのはあくまでデータ上だけなのであまり調子に乗らないほうがいいと思いますよ、と思ったが言わないでおいた。面接官は続ける。

「正直なところ、どうしてもウチじゃないといけないという理由が弱いんですよねえ。そこの動機がないと、後々やってられなくなると思いますよ。あなたはただでさえいくつか会社をやめられてるわけですし。会社っていうのは3年ほどはどんな社員でも稼げないんですよね。3年です。3年は頑張って、それから会社に恩返しをしなきゃいけないんですよね。あなたがそれをできるっていうことを聞きたかったんですけど、ちょっとその理由が見えてこなかったですね。それじゃあウチではやっていけないんじゃないですかね」

俺は食い下がろうとした。食い下がろうとして、なんで俺はこんなオッサンがいる会社に気に入られようとしているんだろうと不思議になった。不思議になっていると、じゃあ時間もないので…と、次の面接官が質問をはじめてしまった。

 

あ、別にいいですよ。どうせ落ちてるんだったらこれ以上面接する必要ないッスよね、そいじゃおつかれッス、とは言わなかった。面接は続くようだったので俺は口角を上げたままでいた。2人目の試験官も、3人目の試験官も、俺の口上には納得がいっていない様子だった。俺がキレて途中で出ていったら遅れた分の時間の帳尻が合うかなと考えた。

 

結局面接は滞り無く進み、時間も少し巻き気味で終わりそうだった。机の端にいる比較的若そうな面接官はうなずいている。俺の話を聞いているのか音に反応して首を振っているだけなのかはわからない。

俺は最後の質問で「コネでか顔でか知らんけれどもよお、あらかじめ採用が決まってるんだったら面接とか無駄なことしないでペーパーで落としゃいいんじゃないですかね?」と聞こうとしていた。最後の面接官に話しながら、俺はなけなしの小さな怒りをかき集めた。

俺が話し終わると、「わかりました。では結果は後日郵送いたします。本日はお疲れ様でした」と締めにかかる。俺は最後の質問がないとは予期していなかったので、はい、ありがとうございました、と言いながら立ちかける。面接官は下を向きながら資料をまとめている。え?終わるのか?どうせ落ちるのに?と俺は思う。逡巡し、俺は中腰になったまま、「あの…ちょっと質問しても大丈夫ですかね…?」とおずおず切り出した。

 

面接官たちはしばらく怪訝な表情で目を配せ合っていた。最初に質問をしてきた面接官が「いいですよ。なんでしょうか」と口を開いた。俺は椅子に半身だけ座り直す。

 

「あのー、この面接で私ってあんまりいい印象残せていないと思うんですけど、これって結局決められた人以外は受からないようになってるんですかね」と俺は聞いた。面接官は質問の意図を読み取ろうとしているのか少しだけ間を置き、「いや…決してそうではないですよ」とだけ言った。

俺は「でも今回私はエントリーシートで聞かれた内容以外はあまり話していないと思うんですけど、それだけで判断されてしまうわけですよね?だとしたら面接したところで受からないのではないでしょうか?」と首をすくめながら言った。

面接官たちは一瞬アイコンタクトを取った後、やはり最初の面接官が口を開いた。

「そんなことはないですよ。1度面接を受けて落ちた後、2度めの面接を通る人もいます。あくまで書面では出てこない、面接でのマッチングを重視しています」だから、すでにコネで合格者が決まっているわけではないですよ、とは面接官は言わなかった。マッチングならアプリでだってできるのに、わざわざ直筆でエントリーシートを書かせた上で、顔をつき合わせてやることなのだろうか。それとも俺がキラキラしていなかったり夢や性処理機能を持っていないからマッチングできなかったのだろうか。俺のパパになってくれるオッサンがいたらすぐに入社できたのだろうか。

 

俺は全然納得がいっていなかったが、時間はすでにオーバーしていた。「質問は以上ですか」と面接官は俺に聞く。俺は、そうッスねえ、じゃ、おつかれッしたといいながら椅子を蹴り上げる。座位が斜めを向いているパイプ椅子が机まで飛び、鈍い音がする。面接官たちが何事かと驚き、身をすくめる。俺は踵を返し、荷物カゴからカバンをひったくる。面接官は固そうな机から顔をのぞかせ、こちらをおっかなびっくり窺っている。俺は引き戸を打ち付けるように開くと、引き戸が跳ね返って半分ほど閉まる。その隙間から部屋を出る。駆け寄る採用担当を無視し、俺は振り返らずに出口へ向かった……

とかブログに書こうかな、と思いながら、深く一礼をし、ありがとうございましたと言う。椅子から横に一歩ずれ、その場で後ろを振り返る。採用担当が俺のカバンをカゴから出して持ってくれている。「お疲れ様でした」採用担当はカバンを俺に渡しながら小声でささやく。俺も会釈をしながらカバンを受け取り、引き戸を両手でゆっくりと閉めた。