無塩せきガソリン

SALT-FREE GASOLINE

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ウォレットチェーン


俺はたまにドンキに行く。ドンキにはDEMIのシャンプーやワックス、クールグリース、ヘインズ・フルーツ・ギルダンといった肌着類、カーハートやディッキーズ、自販機やスーパーでは売っていない菓子や飲み物なんかも置いてある。おしなべて安い。

数日前にもドンキに行った。午後11時でもドンキのあたりは煌々と光っている。抱っこ紐で赤ん坊を抱えた母親、抱えられた赤ん坊、幼稚園児の手を引く父親、手を引かれる幼稚園児の計4人とすれ違う。てっぺんを過ぎれば飲み屋でさえ閑散とするのにドンキには時間に関係なくいつでも人がいる。ドンキで役所の手続きができたらきっと便利だろう。

シャンプーのリフィルを探して売り場を歩く。電動ひげそりを熱心に眺めている青年の後ろを通り過ぎる。青年は黒いアディダスのジャージを穿いている。オリジナルスの、競技用・体育用とは別のラインのジャージはシルエットも洗練されている。染めて間もないであろう明るい茶髪にもよく似合っている。ジャージには右にだけ尻のポケットが備わっている。そこから彼の長財布が飛び出している。ポケットは長財布の形に膨らみ、ポリエステルの生地は重さでたわんでいる。腰のゴムも追従しており、浅い股下のおかげでエンポリオ・アルマーニの下着がはみ出している。見せているのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

俺は疑問を抱く。これはいったいどういう価値観なんだろうか。

 

手ぶら

gssmboy.hatenablog.jp

ハル氏は「男に手ぶらでいてほしいと思う女性は、本能的に生活感を嫌っているのではないか」と推察する。

必要なものをすべて行く先で調達できるような立場なら、そいつはすごいやつだからだ。

手ぶら族はそうした道筋を一つ飛ばしにしてなんとなくもてはやされているようにも見える。

 

「ポケットから飛び出た長財布の重さでジャージがズッっている族」は「手ぶら族」に当てはまるのか。”手ぶらがかっこいい”というのはうなずける。俺も手ぶらの男のほうがかっこいいと思う。両手に荷物を抱えているよりは良い。しかし、富の象徴である財布が重ければ重いほど、ジャージはズリ落ち、俺からしたら、もうちょっとしっかりしたズボンを穿かれてはどうだろうか、ないしは、カバンのなかに財布をしまってはどうだろうか、と思わざるを得ない。

 

「ジャージをズッてる族」は、広瀬すずや統計上の女子が言う「手ぶら族」には当てはまるのだろうか。彼女らの言い分を真に受ければ、ゴツい財布でジャージをズるよりもジップロックに小銭を入れていたほうがマシなんじゃないかと思う。しかし実際の清潔さと清潔感が全く違う意味であるように、手ぶらならなんでもいいわけではないこともわかる。単なる手ぶらと背景のある手ぶらには大きな差がある。

 

最近聞いた話だと、海外からのスキー客の間では現地調達が流行っているという。

手ぶらで日本に来て、スキー場の麓のショップで板やウェアを揃えて、そのまま滑りに行く。

理にかなっているし、衣装を現地で一新するというのもおもしろい。ただ、それなりのものを揃えようとするとそれなりの値段になる。それが可能なだけのキャッシュを蓄えていることは前提で、そういうことを実行できるということがステータスなのだろう。高い金を払える趣味がある。趣味を楽しめる余暇がある。知識がある。人脈がある。健康がある。単に現金化できない大きな価値が、現地調達を可能にしている。

 

ウォレットチェーンはかっこいいか 

ウォレットチェーンはどうだろうか。

ダサいダサいと言われながら今なおスタイルを変えながらどこかでは支持されているウォレットチェーン。ベルトと財布をつないでアンカーの役割を果たしている。自分の財産はここにありますよと宣伝して回っているようなものであり、なんなら自分の財産を絶対に人には譲らないぞという強い意志の表れでもある。

アップルがチタン製のカードを出すほどだ。決済方法というのはその人の表現方法の一つと言える。でなきゃ財布はあんなに高くならない。その人の富が集中している部分は、その人自身にほど近い。センスや好みが強く反映されている。

貨幣みたいなものはダサくなりつつある。というかけっこうな外国で既にダサくなってるんじゃないか。実際に住んだわけじゃないからしらんけど。でもQR決済とか日本でも普通だし。クーポンがせせこましいと感じる人は会計のときいちいち小銭を数えている姿を見てなんとも思わないのだろうか。

じゃあ貨幣や紙幣がダメかって言うと、これも違って、キャッシュレスみたいなものが普通になった時に、あえての現金決済がウケる日がいつか来る。そういう気がする。札束をドンと置くことがかっこよくなる。かなり前にネオヒルズがどうとかって札束を持ち歩く人がよくテレビに出てたね。俺は当時から下品だと思ってた。多くの人がそう思っていただろう。だからテレビと相性が良かった。今はテレビを見ていた人がスマートフォンを見ている。わざわざテレビに出なくても現金を見せびらかすことができるようになった。

決済をスマートにするとなぜかっこいいのか。そう思わされているだけではないのだろうか。一時期、世界一薄い財布というふれこみのweb広告をよく目にした。財布が薄いとなにがいいのだろうか。カードがチタンだとどう得なのだろうか。

スマート決済の行末はウォレットチェーンと近い場所のような気がする。テキトーに買ったでかい財布でジャージをズッているくらいの感覚のほうが良いのかもしれない。