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バス


長距離バスに初めて乗ったのは高校生の頃で、そのときは夜をまたぐ深夜バスで東京まで行った。深夜のうちに目的地に到着するというのはまるで寝ているだけで目標を達成している気がして、乗る前は耳栓やら空気で膨らまして首に巻く枕などを用意してかなり気分が高ぶっていた。しかし車内ではすんなりとは寝られず、かといってバス車内からは数回の休憩のほか到着するまで開放もされず、通り過ぎる高速道路の街灯を眺めながらいったい何時間でこのバス空間は終わるのか、なんだか腰もじんわり痛くなってきてるし、エコノミー症候群とか聞くし、バスから降りた後になにか強烈な怪我を負っていたらどうしよう、などとかなり不安を感じていた記憶がある。

 

とはいえ肉体への負担よりも金の出入りが気になる性分ではあるので、それからは昼行・夜行を問わず長距離バスをちょくちょく利用している。特に夜行では毎度のようになにかしら苦痛を伴っている。眠れない・腰を中心に痛くなる・イヤホンをつけすぎて耳が痛くなる・好きなアルバムも二回りして流石に飽きる・というか音楽を聞くということに飽きる…。毎回こうした小さな後悔をしているが、そんなものは2,3時間もすれば忘れてしまう。結局、新幹線や飛行機と比較した安さや、「寝ている間に到着する」という一見すごくお得に感じる運行スタイルのおかげで、相変わらず利用しているし、これからも利用するだろう。

 

しかし、「いろいろと自由にできない」というのは、田舎で余りある土地と空間をふんだんに使って育ってきた自分からすると、かなりのストレスであることを最近になってようやく自覚してきた。「自由に」というのは、まあたとえば立ち上がって棒を振り回しつつ奇声を発しながらバス内の通路をうろつきたいとか、そこまでのことは要求しない。できたら素晴らしいけどね。しかし、普通の観光バスを利用した4列シートタイプのバスだと、隣に知らない人が寝ている状況で、スマートフォンもろくに触れないことになる。昔、スマートフォンの過渡期の頃、iPod Touchにインストールした音楽やラジオをあらかた聴いてしまい、スクロールしながら次に聞く曲を探していると、スクリーンの明かりが眩しいからやめてくれと運転手に注意されたことがある。そのころはスマートフォンの光の害はまだあまり認知されていなかったが、まあダメだよね。同じ時期に、室内灯の明かりに太陽光電池をかざしてガラケーを充電していたおじさんと乗り合わせたことがあるが、彼は画面を開いていないので誰にも迷惑はかけていない。スマートフォンを廃止してガラケーに戻したほうがいいのかもしれない。

そういうしょうもない自由が一つ一つ剥奪されていく。おもむろに立ち上がってはいけない、ストレッチができない、インターネットを確認できない、飲食ができない、寝返りを打って屁をかませない、そうした小さな拘束が積み重なって絶妙なストレスになっていく。それらを乗り越え、朝日がカーテンから漏れ、目的地のビル街が見えはじめるあたりで、ああやっと終わるのかと、やはり何かを達成したような気分になる。実際は自分ではめた手錠を自分で解いただけなのに。

 

先日、バンクーバー発ポートランド着の高速バスに乗った。グレイハウンドが運営するこの便は計14時間ほどのドライブでサンフランシスコだかロサンゼルスだかまで行くという。俺の目的地のポートランドまでは8時間かかる。

グレイハウンドの車内はガムの香りが充満し、床にはガムが付着しており、窓枠にはガムが付着しており、荷物棚からはかろうじて包みがついているガムが落ちてきた。定刻通り出発したバスは程なくして冷房を出し始めた。外の気温は8度か9度くらいで、とても暑いとは言えない。なぜかアメリカ・カナダのバスは路線・高速を問わず、外の気温に関係なく冷房を効かせる。バスだけではない。映画館、デパート、レストラン…いろんなところで冷房が効いている。そして客もそれに文句一つつけない。日本のOLならカーディガンを羽織ってひざ掛けを取り出す寒さだが、アメリカのお姉ちゃんはシャツ一枚で涼しい顔をしている。バスがシアトルを経由すると時計は19時を回り、日が落ちてあたりは暗くなる。シアトルで乗車してきたうわ言をつぶやくおじさんが後ろに座る。それまでついていた車内灯が予告もなく消える。おじさんのうわ言の音量が上がる。相変わらず冷房がついている。途中でタコマとオリンピアに停まる。停車すると電気がつくが街を出ると照明はバチンと落ちる。うわ言をつぶやくおじさんがいびきをかき始める。暖房はつかない。おじさんもお姉ちゃんも、乗客はよく眠っている。俺はダウンジャケットをひざ掛けにし、目をつむって時間が過ぎるのを待つ。

 

バスがポートランドに着いたのは22時を回った頃だった。結構な乗客を乗せたまま、バスはカリフォルニアに向けて出発していった。あんなに寒いのにちゃんと着くのだろうか。客よりも牛乳や野菜を入れておいたほうがいいと思う。

店が全部閉まっている薄暗いバスロータリーを抜けると、うわ言を言うおじさんもシャツ一枚で平気な顔をしているお姉ちゃんもどこかに行ってしまった。金曜の夜なので人が通りに多い。それを避けつつホテルまでの道を歩いていると、腰に刺すような痛みがする。よく冷えたバスに8時間乗っていたからだろうか。それとも前日からの風邪気味の関節痛が悪化したのだろうか。それとも成長ホルモンが詰まった米牛をたくさん食べたおかげで急激に成長痛が始まったのだろうか。理由はいくらか考えられたが、バスで疲弊した頭では考えがまとまらなかった。ホームレスになにか話しかけられたが言っていることが理解できない。バーからなだれ出る人たちを避け、一歩一歩にたっぷり時間をかけて歩く。

ホテルにチェックインし、シャワーも歯磨きもせず横になる。腰の痛みと体の疲労で、寝る以外になにもしたくないし、おそらくなにもできないだろう。とにかく、睡眠と暖をとって回復しないと。そう思い横になる。しかし仰向けになっても横向きになってもはっきり腰痛がする。痛くて姿勢を保てない。寝返りをうつと薄い毛布がまくれ上がって体が冷える。暖房をつけているのに部屋は温まらない。意図せずのたうち回るような形で、気づくと意識を失っていた。