無塩せきガソリン

SALT-FREE GASOLINE

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免停


輪郭が鈍った頭を抱えて炭酸の抜けたウィルキンソンを一口含むと時計は14時半だった。

そもそも寝付きが悪く朝に弱い生来からの性格に加え、講義形式で話を聞くと途端に寝てしまうという大学時代からの悪癖により、睡眠への欲求というものが人一倍強いことは充分に自覚している。体内時計に忠実に従えば日没してから生活を始めるのが性に合っているし、そのおかげで不必要な迷惑をたくさんかけてきたが、その件に関して今言えることはなにもない。寝巻き代わりの穴が空いたパーカーと、薄く色の落ちたジーンズ、黒ずんで踵のすり減ったすべてが薄いスニーカーを履くと、ろくに社会と関わっていない様相になったが、人と出くわすわけでもないので問題ない。街灯を頼りに誰も起きていない住宅地を抜け、コンビニでメルカリ発送の小包を渡すが、老眼鏡をかけた女性がレジをいくら叩いてもiPhoneのバーコードを読み取ってはくれなかった。俺は小包を脇に抱え直し、ペットボトルから味のしない炭酸水を飲みながら来た道を引き返す。

 

そもそもメルカリで家財を現金に換えざるを得ない事態に陥ったのも、山下達郎の高気圧ガールを熱唱しながら運転していたら、一時停止線での一旦停止が甘かったらしく、「僕にささやくのさ」とサイドミラーを見ると点滅する赤い光、いや物騒だねと思っているとサイレンが鳴り、止まりなさい的なことをスピーカーで告げられ、車を停めると警察官がこちらにやってきてパトカーに乗るよう強要され、過去の交通違反歴、犯罪経歴、逮捕歴、成人ビデオの貸出履歴、視聴履歴、「大麻 効用」「覚せい剤 効用」「覚せい剤 コカイン 違い」「コカイン 鼻から なぜ」等の検索履歴、仕事で発生した小さなミスを黙っていた歴、などを洗いざらい聞かれ、8000円ほどの日本円を徴収され、夜道に開放されたのがきっかけでもある。徴収された8000円は野菜となって俺の腹に入るはずだった。俺は今まで都合3度ほど交通違反を起こして警察の世話になったことがあり、今回で念願かなって大台の4回目である。ちなみに罰則は点数制になっているので違反回数はその後の免許にあまり関係ない。危険性が伴うに連れて点数が大きくなっていき、飲酒運転や過度のスピード違反は一発で免許を剥奪されてしまう、といったようなものだ。こうした、危険な運転をしている者から金銭や免許を取り上げる制度のおかげで日本国民は日々を平穏に暮らせるようになっている。警察には感謝してもしきれない。

 

3度めの違反で車を止められた俺はいつもどおり千円札を数枚取り出す。狭い車内で警察官はこちらも見ずに後ろ手を出している。そこに数秒前まで俺の財布に入っていた数千円を挟み込む。警察官は朝の新聞と同じくらい雑に紙幣をバラバラめくった後、極めて事務的な声でこう告げる。「では罰則点数がオーバーしたので免許停止となります。後日ハガキが来ますのでそれに従って免許センターまで行って、停止の手続きをとってください」俺は狼狽し、「えっ、免停って、免許はもうなくなってしまうのですか。運転できなくなるのですか」とすがりつくが、「ハガキを見てもらえばわかりますので。それではお気をつけて」と警官は切り上げる。タクシーのように自動で扉が開かないので、俺は自分でクラウンのドアを開ける。クラウンのドアには無数の犯罪者予備軍の指紋がついている。

 

一週間ほどして、ハガキは来た。俺がいつものように郵便受けを開け、ダイレクトメールやクレジットカードの明細をゴミ箱に捨てていると、2色刷りの簡素なハガキが挟まっており、それは免許停止の通知及び免許再開講習のおしらせだった。数日ある指定日に免許センターまで足を運べ、車を使わずにな。ハガキにはそう書いてあった。

 

俺が免許センターに着くと平日にもかかわらず免許センターは盛況だった。「免許停止の方ー!免許停止の方はこちらですー!」と怒鳴っている男性の声の方に歩いていき、いくつかの手続きをした後、俺は免許を取り上げられた。「では再発行の講義は13時から始まるので遅刻しないよう講習ルームに行ってください」と告げられ、開放された。俺の運転免許はここで停止した。

 

講習自体は、幾度となく見た、事故で大破した車や、交通事故で家族をなくした人のドキュメンタリーが流れる映像だった。講習を受けている人は年齢も風体もバラバラだったが、全員が男性だった。ビデオが終わると紙が配られる。「では、簡単なテストをします。私が問題を読み上げるので、マルかバツを書いてください。私が問題を読み上げるまで、先の問題には絶対に進まないでください」講師とされている初老の男性は机の前で声を張り上げている。淀みなく継がれる言葉を聞くと、彼が今まで何千、何万回と同じことを言ってきたであろう事がわかる。テープレコーダーだってこんなまっすぐにはしゃべれない。なんの疑いも持っていない声だった。彼は問題を読み上げるまで先に進めてはいけない理由を一秒でも考えたことがあるのだろうか。テストが終わると免許が配られた。先程返納した免許と何も変わらないように見えた。テストは自己採点をして各自復習せよとのことだった。俺はテストの結果を6つ折りにして上着のポケットに入れた。

 

その後にセンターの講習コースで軽く車を流したような気もする。よく憶えていない。というか免停になった前後のことだってまともに憶えているとはとても言い難い。昨日の出来事だってはっきりしていないのに、こんな昔の話が正確であるはずがない。