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スーツとかネクタイとかの話


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最近は気晴らしに仕事なんかやったりしているけど、やっぱりたくさんの人が集まるところにはよくわからない決まりなんかがたくさんあって、うんざりしたり、まあそういうのも仕方ないよなと思ったりして非常に気疲れする。

特に服装規定っていうのが曖昧で困っている。

なんとなくペーペーのうちは揃いの黒スーツ、常識的な色のネクタイ、何年か働いたら節度を持ったビジカジで来てもいいよ、という空気なんだけど、これは別に明文化されているわけではない。明文化されていないから、駄目な基準も罰則もない。上司がポンと肩をたたいて「君も最近良くやってるな、どうだ、そろそろ解禁じゃないか?」なんて言われたらチノパンで来てもいいというわけでもない。レザーのスニーカーやグレーのカーディガンなんかより、毛玉だらけのポリエステルスーツ、襟やカフが黄ばんでいる白いシャツ、手入れをしていないおかげで白く禿げ上がっているビジネスシューズが好まれる。実際、難しそうな顔で昭和の荒波を生き抜いてきたであろう管理職なんかは、スニーカー出社が推奨されたおかげで、葬式みたいなスーツにランニングシューズをあわせて現れたりしている。俺は幸いなことに少しは空気が読めるので、大学生の頃から使っている擦り切れそうなスーツを引っ張り出して事なきを得ているが、ペラペラのジャケットやスラックスなんかはもう着たくない。しかし、余計な波風を立てないために、ニコニコしながら毎朝毛羽立ったネクタイを締めている。

 

要はこれ、パーカーやジーンズや謎の英語が書かれたTシャツで来るなよと、そういうことを言いたいんだろう。こういうのを規定でビシッと決めましょうとなると全員一律でスーツ着用とか、そういう事になりかねない。

よくわからないのが女性社員は完全に自由なところで、制服なんかもないし、アイテムの指定もないのに、みなさん節度を持った格好をされており、うらやましい限りだ。

男性だって、ユニクロや無印で買えるような、地味な色のチノ、めくって柄が出てこないようなジャケット、清潔なブルーのシャツ、そういうのでいいだろと思う。しかしそれより重要なのは”一律で似たような格好をしていること”、そして”ネクタイを締めていること”らしい。

ネクタイ。あの意味のない布切れが一体なぜここまで信頼され、世界的なルールになっているのかがさっぱりわからない。人類のバグなんじゃないかと思っている。別にネクタイが好きな人とか、ネクタイマニアとか、ネクタイにフェティシズムを覚える女性に求愛行動を取りたいという人がネクタイを締めるのに異論はない。ネクタイでもなんでも巻いてくれ。

しかしそれを「まあビジネスマナーですから」みたいな感じでやんわり強制するのは一体なぜなのか。ネクタイ屋の陰謀か?みんなあの意味のない布切れを毎朝間違えずに巻くことができる知能を持っていて、なんの疑問も感じないのか?

 

一律化されたパッケージング

でもまあ正直、同じ格好をしましょうと言っている人の気持ちはわかるよ。ジョブスとか制服を導入しようとして大反対にあったとかって言うじゃん。日本人は多分子供の頃から制服を切るのなんか当たり前で、自分がしっくり着ていないものを着るのに何の抵抗もないんじゃないか?義務教育から制服が規定されているっていうのはやっぱ根深いと思うよ。欧米のみなさんは日本人はいくつになってもセーラー服のポルノを見ていて不気味!とか言うけど、セーラー服が担っているのは若さの象徴とかロリコン感情を逆なでするためじゃなくて人間をパッケージするためだと思うよ俺は。そういう意味でも不気味がられてるんだろうけどさ。

なんつーか、似たようなアイテムだけど着こなしに個性が現れてる、みたいな感じ、魅力的じゃん?少年漫画っぽさというか。見た目が似ている分際立つところがあるというかさ。

もちろんどこの国だって贔屓のスポーツチームを応援するときや音楽グループのライブを観るときなんかは揃いのシャツを着たりするわけだけど、それはかなり受動的であり、消費する立場の話であって、能動的なことをやるときはあくまで個でやらせてもらいます、ということなのかもしれない。

しかし最近の大学生は自ら量産型に身を包むという話を聞くあたり、明文化されていないコードを解読できる人とだけ仲良くし、そうじゃない人はそれとなく排除していくという雰囲気なのかなと感じるたび、個人的な怨恨が蘇ってきて、やっぱそういうやつらはクソだなあとしみじみ思うわけです。

人気者が気分で考えたみたいな決まりを必死こいて守って、予想の範疇の人間のパケージをしているときに俺はやりきれなくなる。やるんだけどさ。