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絵本『キスなんてだいきらい』の話


絵本と一口に言っても幅広く、食べ方とかトイレとかの人間ルールを解説する乳幼児向けライフハック絵本から、大人が手軽に泣きはらしたりするためのものまで用途は多用だ。

そしてたとえ子供向けであっても、文章からマーケティングに至るまで子供の快楽を煽るように完璧にデザインされたものに始まり、「こんなの子供に見せるもんじゃないだろ」というような固い表紙と十数枚の紙でできたアートとも呼ぶべき問題作までが同じような顔をして店頭に並ぶ。

幼児向けであるということを一旦置いておくと、絵本コーナーには実に広い世界が広がっており、 それと同時に巨大なマーケットが存在する。

そんなでかいパイを奪い合うように次々と参入者が現れては消えていく絵本市場ではあるが、古くからその座を守り続けるマスターピースも数多くある。

 

トミー・ウンゲラーはそうした絵本作家の一人。

彼の著作の1つに『キスなんてだいきらい』という絵本がある。

 

あらすじ

育ち盛りでワル盛りのパイパーは朝から機嫌が悪い。おはようのキスをしようと迫るママを押しのけ、バスルームでは歯磨きもせずにマンガを読む。ママはパイパーがきちんと顔を洗ったか、シャツにシワが寄っていないか、朝ごはんはちゃんと食べたか、気になってしょうがない。

過保護なママがうっとおしいパイパー。一方パパは「ママってのはそういうもんだから。マンガが読みたければトイレに本棚を作ってやるからちゃんと頼めよ」となんでもお見通しの様子。

 

朝のことでなんとなく気分が落ち込むパイパーだが売られたケンカは買うしか無い。今日も友だちをボッコボコ。二人仲良く医務室のお世話に。

その傷を見たママがまたまたヒステリーを起こす。

「どうしたの!はやく病院へいかなくちゃ!」

そんなママのキスにとうとうパイパーがキレてしまうのだが…

 

トミー・ウンゲラー

この絵本の存在を知ったのはPSG現るのPV。

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www.youtube.com

 

このPVには『キスなんてだいきらい』以上に、『すてきな三にんぐみ』や『The Party』のイメージがサンプリングされている。

トミー・ウンゲラーのある種病的な世界観が曲にマッチしているのはもちろん、一方で「大人ってバカだよな」みたいな幼児性も垣間見れる。

ワルい=かっこいいという価値感は言葉にしてしまうと偏差値低めな感じだけど、「男の子」としては共感せざるを得ない部分でもある。

それからもうひとつ、アンゲラーの絵本を見ていると、彼の感性が子供のそれそのものであることもわかります。彼の絵本では、ヘビやタコや泥棒など人から忌み嫌われ、社会からつまはじきにされている者がしばしばヒーローになります。彼らは絵本の世界でも、普通は脇役かせいぜい悪者に貶められるのが常ですよね。そんな者たちにスポットライトが当てられるのは、ちょうど子供がアニメの悪役に憧れてしまうのと似たような感覚ではないでしょうかね。

 エログロナンセンス親父の真心―絵本作家トミー・アンゲラーTomi Ungerer House of M/ウェブリブログ 

 

俺たちのパイパー

きっと子供の頃に触れた物語では、主人公の年齢は対象者より少し大人で、自分の知らない世界を見せてくれる…といったストーリーやディティールに、憧れだったりワクワクしたりを感じたりしたはずだ。

 

主人公であるパイパーは大人から見た悪ガキという面と同時に、子供のヒーローとしてのワルい面も持つ。このパイパーは言動や行動は小学生くらいだと推測できるんだけど、そのへんを対象にしているんだとしたら、やたらと過激で過剰なのだ。

 

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今の時代ではなかなか見ないバイオレンス描写。気に入らないやつは問答無用でブッ飛ばす。 

 

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ひとしきりケンカした小学生は葉巻で仲直り。 この大人びた感じに、かつて年齢が一桁代だった自分は無邪気に「カッケー!」と思ってしまうのだ。 

 

気の利いたディティール

登場するキャラクター、アイテム、街の感じ、ファッション、ディフォルメされた造形、細部に渡ってとにかく気が利いている。それは話運びもそうだし、絵だけでみても同じことが言える。

 

例えば冒頭のストーリー。

パイパーは”とき”を見たくなって目覚まし時計を分解するが、飛び出したゼンマイにカッとなって工具ごと窓から投げ捨ててしまう。しかし階下にはパパの車が停めてあり、朝送ってもらうときになってようやく時計が直撃して割れてしまったフロントガラスと対面する。

時計と工具を投げ捨ててガチャンという音を聞いた時には「ざまあみろ」と言い放つパイパーが、フロントガラスを割ってしまったことに対して「やっちまった…」という表情をする、この落差。

 

キャラクターも、ストーリーも、ちょっとしたディティールでさえも様々な面を持っていて、だからこそ立体的なおはなしが浮かび上がる。

 

いい歳こいた男性が読む『キスなんてだいきらい』

親の存在をどう扱うかという問題はこのご時世になってもつきまとう。むしろ今だからこそ、独り立ちして都会でサクセスするよりも、まんじりともせず実家で暮らすほうが親孝行という扱いになったりする。

反抗期ならまだしも、歳を取るにつれ「ババア、ノックしろよ!」というスタンスは取りづらくなっていく。

 

しかし一度ひねくれてしまった人間は、そう簡単に「こんな俺を育ててくれた両親にマジ感謝」とはいかない。

それは俺自身の経験のみならず、中年を迎えた息子が腰の曲がった母親にイライラしている様子みたいに、そこかしこで見る光景だ。

親のことはうっとおしいんだけど、同時に大切にするべきだとも思っている。子供のことをガキの頃みたいに手を焼きたいんだけど、ウザがられているのも分かっている。

この歩み寄りが必要なのに、どうしてもお互いが自分を譲らないからこじれて元に戻らないんだと思うのだ。

 

こうしたこじれている家庭だったり、将来こじれていきそうな家庭にこそ、パイパーの解決法は響く。

「俺もいつまでもひねくれていられないな」と感じてしまう。

 

この腕組みをしてこちらを睨みつける表紙にピンときたら、一度手にとってみてほしいと思う。