少し前に、
”「自分に似合う服ってなに?」居酒屋で聞いた、おじさんたちのファッション論”
と銘打たれた鼎談記事が公開された。その中の一文が自分の中でずっと引っかかり続け、なんとなくこの違和感の正体をつかもうとしばらく考えてみたことを言語化していこうと思う。
ちょっと脱線しますが、僕の持論として、なんでデニムがこんなに広まったかというと、一つの理由として何にも合わないからだと思う。
リーバイス501の出自
そもそものジーンズの発端は、作業着の補強のために生地にリベットを打ち込んだパンツだ。のちにジーンズとなるこのパンツを最初に作ったのが、リーバイさんとヤコブさんであり現在のリーバイスだ。
ジーンズのルーツはハードなワークウェアにあり、それまでのヤワな服に変わって徐々に浸透し、アメリカの国民服として愛されるようになったのだ。
また、アメリカでデニムを使用する象徴的なスタイルは、ワークとカウボーイの二つだ。どちらもタフで長持ちするデニムを好み、それぞれの作業に特化したカスタムアイテムは数知れない。ダブルニー、ペインター、レイルロードジャケット、ウエスタンシャツ...。
これらは日本に元々あるカルチャーではなく、完全にアメリカの借り物だ。
現代日本で機能を基準にワークスタイルやウエスタンスタイルを選ぶ人はいない。それらはアメリカの象徴であり、イメージを拝借しているに過ぎない。
先の記事においても、デニムは存在それ自体に違和感があるというところが指摘されている。
それは、ワーク・ウエスタンのルーツが日本にないというところと、その要素を町に持ち込むことについてと、2つの違和感だろう。
ジーンズの違和感、ある。どう着ても”ハズし”になる。だからこそリーバイス501に全てを委任できる。括弧つきの「オシャレ」とは完全に別の軸。/
— ソルト (@saltfree_gas) 2017年10月19日
「自分に似合う服ってなに?」居酒屋で聞いた、おじさんたちのファッション論〜中編〜 https://t.co/Zkq9Mh4WWQ
ジーンズ+白Tシャツのオフィシャル感はどこからくるのか
昔、ジーンズと白Tシャツの組み合わせにはルーツや背景が存在しないと書いた。文化や出自に共通項がなく、同列に扱われるべきものではないというところからだ。
じゃあなぜ”ジーンズ+白T”は多くの人に普通の恰好として刷り込まれているのかというと、既製服における最も売れてるセットアップだからだと考えることができる。
メーカー・ブランドが提案する、一つの完成形だ。
コーラとハンバーガーが世界で一番売れているから世界で一番うまい論に通じるところもあるが、「統計的に一番長く太く売られているものは、一番カッコイイに決まってるだろ」という投げやりな屁理屈は、正解ではないにせよ大きく間違っているとも思えない。
メーカーやブランドが一番売れるアイテムに力を注ぎ続けた結果、質がよく、安定供給され、しかも安い、いわゆる定番商品ができる。その定番商品の概念の上澄みを抽出した象徴的なスタイル...アメカジのコスプレこそが、ジーンズ+白Tシャツなのではないか。
「アメカジのコスプレ」なの。白Tに501って、昔から完全にコスプレだった。吉田栄作ね。
吉田栄作はこの恰好で紅白歌合戦に出てめちゃめちゃ話題になったんだけど、あの当時も鼻で笑われていて、かっこいいとは思われていなかった。
「自分に似合う服ってなに?」居酒屋で聞いた、おじさんたちのファッション論〜前編〜 | FACY
組み合わせる必要
「既製服を独自の観点で組み合わせる」という概念は本来アンオフィシャルであり、ここに既存のルールとズレていたり、違和感が生じるほど、社会からは離れていく。ジャケットとスラックスがセットになるとその人はワンオブゼムになり、イヌイットのボアコートに袴を合わせればオンリーワンになる。
ルールが決まっている恰好をすれば社会的に見られ、見たことのない恰好をすれば反社会的に見られてしまうということだ。
しかし現在販売されている既製服の多くは「組み合わせる」事が前提となっており、全体でセットアップする前提はまずない。
そして、誰しもが反社会的というレッテルを押されたくがないために、組み合わせる方法を調べ、より多くの人が好む組み合わせを工夫することになる。
こうしたオリジナリティ溢れる組み合わせに俺は違和感がある。
ミュージシャンを先頭に奇抜な格好が流行り、認識されていくことはよくある。そういう一部のカリスマの世界観が反映されている場合、その世界のルールに従えばサマになるからだ。
カリスマが不在の場合は無理をして変な工夫をする必要はないと思う。
ブランド・機能・カルチャーの出自を統一してセットアップすればいいものを、なぜわざわざ様々なところからアイテムをキュレートしてオンリーワンを作り上げなくてはいけないのか。
服飾において先進的な技術、アーティスティックな背景、カリスマ的な感覚を持ち合わせてもいないのに「こうすればかっこよくなります」と独自の組み合わせを発表する人間が多すぎる。
謎の理論や理屈を振りかざし、「誰でも」「すぐに」「簡単に」「オシャレになれる」などと謳っている人があまりに多い。
オシャレであろうと工夫すればするほど、見たことのない奇妙な組み合わせができあがっていく。
社会に属そうとするなら、ルールに従って見慣れた格好をしたほうがいい。
気は使うけど工夫なんかしたくない
鼎談記事においては
「靴も、パンツも、TPOに合わせたベーシックなものがいい」→「じゃあベーシックってなんだ?」
という分析が深く行われている。
記事で言われているような、永遠に定番なベーシック、とまでいかなくても、ある程度ルーツのあるジャンル...ワーク、スポーツ、トラッドを意識するだけでかなりTPOに対応できるようになる。これにアイテムの出自国を合わせたり外したりしていけばファッション的に遊ぶことができて、かつ間違うこともない...と思うけどなあ。
10代の頃ならしょうがないとして、ある年齢以上のTPOに合わせた”オシャレ”な格好に度肝を抜くような奇抜さなんか必要ない。
スーツスタイルのように、必要なものだけを組み合わせればいいのではないかと思うのだ。