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ミュージシャンの政治的な発言は、なぜ嫌われるのか

「ミュージシャン・アーティスト・クリエイターが政治的な発言をすると、ツイッターのフォロワーが減る」というまことしやかな噂がある。

実際に統計を取ったわけでも定点観測していたわけでもないので本当のところはわからない。

しかし、ニュースや言論の場ですら、「ミュージシャンの政治的発言は是か非か」ということが話題になる。

 

togetter.com

 

ここで注目したいのは政治的発言そのものが許されない風潮についてだ。

的を射た政治批判が良くて、大雑把ないじりが駄目というのではなくて、政治的発言は内容を問わずNGのようだ。

 

これには日本人の宗教感が大きく関わっているのではないかと考える。

多くの日本人が、政治家やミュージシャンのことを、現実から切り離れた存在だと考えている可能性があるということだ。

 

アメリカと日本、政治とエンタメ

アメリカでは日本と違い、政治とエンタメが地続きで、ある種「人間ドラマ」として見られているようだ。

そこに利権が絡むことはあれど、忖度やお伺いといったものはない。

アメリカでは政治をテーマにしたメチャクチャな脚本のドラマを放送してもいいし、人気も集めてしまうのだ。

 

ハウス・オブ・カード

 

ハウス・オブ・カードはNetflix配信ドラマで、公開当時は日本でも話題になった。

主人公のフランク下院議員が大統領の座を狙って策略の限りを尽くす、というのが本筋だ。

メディアに嘘を流し、議員の弱みを握って脅し、ライバル議員に不正をけしかけて潰す...だいたいずっとこんな感じだ。

超面白いんだけど、なかなか過激な内容なのでこんなことをして政権から怒られないの?とヒヤヒヤしてしまう。

 

※ちなみに日本でも過去に総理大臣をテーマにしたドラマがあったらしい。

CHANGE DVD-BOX

CHANGE DVD-BOX

 

CHANGE (テレビドラマ) - Wikipedia

あー、わかる。きっと恋人の愛情、仲間との信頼とかで曖昧に事件を解決していくんだろ?普段の何気ない行いの中に解決の糸口を見つけ出すんだろ?

見てないからなんとも言えないけど...

 

ミュージシャンの政治的発言はなぜ嫌われるのか

ハウス・オブ・カードを見てから、日本のエンタメと政治の関わりについて考えさせられた。

日本では政治への批判そのものがないわけでも、エンタメと政治が結びついていないわけでもない。

政治エンタメは一定の需要がある。

ワイドショーとかでもキツイこと言ってたりもするね。不倫と汚職の話題ばっかりだけど。

ネットで見かける政治クラスタも声がでかい少数派という印象は否めないが、一定の熱烈なアクセス源がある...という感じだ。

 

しかし、ミュージシャンの政治的発言は決してエンタメにならずに、一方的に嫌われてしまう。

ミュージシャンは言いたいことを自由に言っていいし、だからこそ拡散力があって、みんな熱心に耳を傾ける、といった構図のはずだ。

ところが、ツイッターで政治の話題に触れると内容に問わずフォロワーはかなり減るらしい。

なぜ政治的発言ばかりが取り上げられて嫌われてしまうのだろうか。

 

アメリカではミュージシャンも政治的発言をどんどんする。

それがファンに受け入れられている。反トランプ、セクシャルマイノリティ、子供の人権、戦争反対...

国民的なポップシンガーからパンク・ヒップホップまでジャンルも問わない。

 

アメリカと日本、政治とエンタメの解釈の違いはどこからくるのだろうか。

 

宗教で見る政治感

日本

さてここで問題です。日本を代表する宗教はなんでしょうか?

 

答えは神道です。仏教ではないぞ。

神道 - Wikipedia

 

正確には日本が正式に定める国教は、無い。

ほとんどの国では宗教の自由を掲げ、国教自体を定めていない。

しかし慣習的に、アメリカ大統領はキリスト教の神に宣告をするし、日本の総理大臣は神社神官の最高権威である天皇に任命される。

各国で前提とされている宗教はオフィシャルで決められていないにせよ、なにかしらあって、それが社会の前提として共有されているのである。

 

多くの日本人は、名付けは慣習、結婚式はキリスト教式、葬式は仏教式と生活に根ざした一つの宗教というものを持っていない。

だから日本人は無宗教だ、ということはよく言われる。

しかし、信仰するしないにかかわらず、無視できない生活習慣となっているのが宗教の実体だ。

 

現在日本の行事は規模の大小を問わず、主に神道に沿って組み立てられている。

結婚式や葬式は六曜を気にする。厄年にはお払いに行く。クリスマスも灌仏会をさしおいて、天皇誕生日だけが休日になる。

日本に根ざしているのは他ならぬ神道なのだ。

六曜 - Wikipedia

 

「俺は絶対無宗教!神とかファック!」とか言いながら正月に休みを取るのはおよそおかしな話だ。

日本人は宗教に無関心で無宗教だと言われているが、実際は神道のリズムに則って社会が形成されている。 

 

アメリカ

アメリカはキリスト教を国家に据えており、あらゆる政治家は神の名のもとに政治を行うと宣告する。

生活のリズムも、行事も、キリスト教の周期で行われる。

もちろんアメリカでは信教の自由があり、イスラム教徒もユダヤ教徒も仏教徒もいる。

しかし、それらを取りまとめる社会の前提という意味では、アメリカではキリスト教が採用されているのだ

 

この宗教観の違いを元になぜ日本ではミュージシャンの発言が嫌われるのかを考えていきたい。

 

 

1.ミュージシャンの政治的発言を宗教戦争と思ってしまう

ミュージシャンやアーティストのような、ある種で人間離れした業(わざ)を持っている人は、今風に言えば「神ってる」とか「神寄りの神」といったふうに表現される。

多くの人に影響をあたえるような人間離れした現象を起こせる人を神だと思ってしまうのだろう。

 

「若者はすぐ神とか言う」と警告を鳴らすトンチンカンな言論の人を見たことがあるが、そういう表現は今に始まったことじゃない。

国教である神道がアニミズム的な構造であることを考えると、むしろ正しい日本人像だと言える。

日本人は「スゴイ現象」のことを神だと思っているし、「スゴイ現象を起こす人」のことを教祖としてとらえている。

 

その教祖同士が互いの思想に対してケチを付け合うのはさながら宗教戦争で、目を背けたくなる。

日本のミュージシャンがバンド間を移籍したりしないのもそういうところなのだろう。

特定の神格化されたアーティストに許されるのは、教祖的な所作だけなのだ。

 

2.有無を言わさない圧倒的なルールがない

本来は日本国は神道の教えに則って行政を行わなければならない。

しかし神道では、そういった前提のような決まりが言語化されていない。

キリスト教で言う聖典、バイブルのようなものが存在しないのだ。

日本、そして神道には絶対に覆らないそもそものルールというものが存在しない。

 

そういう大前提の決まりを作っているのが政治だととらえている人にとって、それに素人が口を出すのはスゴク嫌悪感があるだろう。

政治みたいな厳格な場に、ミュージシャンみたいなただの人間が口出しするんじゃない!という理屈だ。

きっとアメリカでも、いくら人気のミュージシャンであっても「キリスト教の教えが古くなってきたから改定しよう!」とか言い出したら内外から様々な反発にあうだろう。

「俺はアンチクライストだ!」などと堂々と宣告するのは一部のメタルバンドだけであり、彼らは彼らで色々と批判が集中したりする。

そういう立ち入ってはならない領域、アンタッチャブルな部分が日本では一段下がっているのだと思う。

それはなぜかというと、神道には厳格なルールが明文化されていないからなのだ。

 

まとめ

以上の話をざっとまとめると以下のような図になる。

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もちろん全員に当てはまるわけではないし、違和感を覚える人もいるだろう。

しかし、「この図は間違っている!僕こそが神だ!」とか言う人間をいちいち相手にはできない。

 

大多数の人は大まかにこのような序列に従っていると思う。

そして、このような序列になるのは宗教感が深く関わっていると、そう思うのだ。

 

最後に

今回はミュージシャンの政治的な発言について、宗教観の違いから考えてみた。

ちなみに俺は仏教徒で、浄土真宗本願寺派だ。恥ずかしながら、熱心ではないし、お経の一つも読めないけど。

なので、「神道やキリスト教をよく知らないでテキトー抜かしてんじゃねえ」とか、「政治のことについてナマ言ってんじゃねえ」というご指摘をお待ちしております。

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