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関心の総量

ある人への関心...好き:嫌い=1:1

という説を提唱している。それは日頃の周囲の人間関係でもそうだし、テレビに出ている芸能人などにも適用できるのではないかと考えている。いずれにせよ主観と客観が入り乱れ、その瞬間で評価が逆転してしまうような「人への好意」なんてものは裏付けを取って実験・データ回収なんて難しいだろうし、先述の説も完全に経験による実感である。

 

好き・嫌い

ある人が好かれる・嫌われるという現象について、好き・嫌いという感情はあまり関係なくて、それよりも問題なのがどれだけ関心を集めているかだと思う。多くの人にエクスキューズできるような過激な発言、飛び出た行動力、的を射た指摘などは必須となるがその内容はほとんど関係なくて、賛同者が多いということと反対者が多いということは同じであるように感じる。あなた、及び自分がどの位置に立つかでも、その多さは違って見えるだろう。でも多分、熱心なファンと熱心なアンチの数はほぼ同数じゃないか。

 

それと、現段階でどの処理をするか決めかねている、浮遊層の存在も大きい。

これは例えば普段はなんともない顔をして大きな好意も敵意も寄せず、どちらかというとファンに対して賛同する意見を発している人のことだ。

しかし何か不祥事を起こしたとあれば一転して反対意見に肩を貸す。その不祥事が自分の領域のものだったらなおさらだ。

 

関心を集める器

だから、人々の関心を集めるのに好きだとか嫌いだとかはあんまり関係ないと考えている。猛烈に叩かれている人も、その教団じみたコミュニティの中でどういった扱いを受けているかは俺達は知り得ない。

 

例えばとある人気者が、犯罪ではないけど一般的な使用方法からは大きく逸脱した方法でちょっとした小金を稼いだとする。当然それに対する批判は多く集まるだろうし、そのシステムを知っている人、システムで順当に利益を得ている人、システムを応援している人、直接的に損をした人などからは強い反対を示されるだろう。でも別の側面で見ると、「よくわからないシステムの鼻を明かしてやった」「ダーティな方法でクールに金を稼ぐなんてかっこいい」「アンチに負けないで道を貫いてください」とこうなる。いくらその人気者の悪行を説得し、反対行為に勤しんでも、人気者のファンからはアンチの一言で片付けられてしまう。

昔の人はこの一連の流れを憎まれっ子世に憚ると短いセンテンスで表現をしている。つまりそういうことだ。

 

こうして多くの関心を集めるのにはノウハウや継続なんかよりもその人の器が重要だと見る。器というのも漠然としているけど、清濁を抱え、ファンとアンチを抱え、それでも平気な顔をして自分の利益だけ追求して、でも表に出す顔は完全に偽善者のそれを演じることができる、そういう人物だ。

 

人望とは

一方で、本当に真面目に余のため人のために行動している人も少ないながらにいて、パッと見た感じかなりホワイトな活動内容で、知っている人からの評価も高い。外に向けた顔と内に向けた顔もほぼ同じで、善行のために人生を捧げているような、そんな人だ。

そういう人にも必ずアンチがいて、失策するタイミングを虎視眈々と狙われていたりする。ちょっとした失言を拾われ大事にされ、浮遊層が反対に流れていく...といった具合に。

 

でもこれ悪人側から見た世界では、彼は偽善者であり商売の邪魔者であり利益を不当に受け取る排除すべき存在だ。もっというと、悪人側というのも「その人のアンチである」という所以外に特別な理由を探せないかもしれない。

と言った具合に、この善悪での判断はその人の人望がどちらを向いているか、その人への期待に応えられる器なのかといった単純な動機に帰結すると言える。その人の行動の内容や正当性などはハッキリ言ってあんまり関係ないんじゃないかと最近特に思うのだ。

 

俺が大学時代に所属していたサークルで、一番モテていた女の子は、女子からは総スカンだった。そういうことだ。